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Land Mine Museum in Siem Reap(シェムリアップの地雷博物館)

バスは農村地帯のある小さな小屋の前に止まった。これが博物館・・・・・日本人のわたしにはとても想像できないような小さな「博物館」である。
館長は、アキ・ラさん。28歳の青年。彼は、たった一人でこの博物館を作った。

中にはおびただしい数の地雷と、彼が描いた何枚もの絵。
積み重ねられた地雷は彼自身の手によって撤去されたもの、絵は彼がクメール・ルージュ軍の少年兵士、またベトナム軍の兵士として生きていた頃の様子を描き出したものである。

わたしは、彼のことをうまく説明できない。
彼自身によって書かれた手記なるものを3$で買った。実は、この手記をじっくりと読んだのは、何を隠そうこのページを作成している「今・(2002,5.6)」である。
カンボジアに関する本は去年から何冊か読んだが、アキ・ラさんの手記はわたしに、ポルポト派時代の様子をいちばんわかりやすく伝えてくれた

できればここに彼の手記をそのまま紹介できたら、と思うが。


新聞記事に彼のことを見つけたので、それをここに紹介します。

殺戮の遺物、私は語り継ぐ
カンボジアの青年がたった一人で地雷の博物館を作った。おびただしい数の撤去地雷や不発弾を展示し、自分で描いた戦場の絵を掲げている。青年はポルポト派時代の73年頃の生まれで、28歳だという。
内戦中に自分がしたこと、されたことを伝えたいと思っている。
博物館は世界遺産アンコールワットで知られる北西部シェムリアップ州の農村地帯にある。 

〜〜〜カンボジアとアキ・ラさん〜〜〜(太字はアキ・ラさんの歩み)
1970年    ロン・ノル将軍クーデター、内戦へ
  73年ごろ ポル・ポト派支配の村で生まれる
  75年    ポル・ポト派、プノンペン制圧
  78年ごろ 両親が殺される
  79年    ベトナム軍がポル・ポト派追放。親ベトナムのヘン・サムリン政権発足
  86年    ベトナム軍が村を占領。同軍に加わる。
  89年    ベトナム軍、カンボジア撤兵を完了
  90年    カンボジア政府軍に加わる
  91年    パリ和平協定。内戦終結。
  92年    国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)が活動開始
  93年    国連と地雷撤去を始める
  98年    ポル・ポト氏死去
  99年    地雷博物館を始める
 
朝日新聞国際欄(2001.4.18)に掲載


(photo by Jun Misonou)
アキ・ラさんの手によって撤去されたおびただしい数の地雷と不発弾。彼はこれから先もずっとこの作業を続けると語った。  

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